プロフィール
専門学校および短期大学を卒業後、福祉施設に就職。2008年に大塚倉庫へ転職。高崎営業所を経て、東京オフィスへ転勤しロジスティクス本部に異動、2022年より現職。
犬伏 良介

福祉業界から物流業界・大塚倉庫へ転職されていますがキッカケを教えてください。

学校を卒業し、福祉業界に飛び込んだのですが、手取り給与が10万円を切っており…飲食チェーンの深夜アルバイトもしながら何とか食いつなぐ日々を送っていました。自分の自由な時間も取れず、体力的にも長く続けられないと思い、業界チェンジを決めました。
親族に相談したところ、大塚倉庫を勧めてもらい転職しました。大塚倉庫での初任給の給与明細を見た時には嬉しさで手が震え、ボーナスの額を確認した時は驚愕したことを今でも覚えています(笑)。

まず高崎営業所・前橋物流センターでどのような仕事をされていましたか?

最初は業務課に配属となり、受注、配車、現場への作業指示出しなどをしつつも、現場でピッキングや製品の詰め替えなどもしていました。その後、営業所で経理も担当しましたので、パートナーさん(倉庫業務のアウトソーシング先)との交渉や、予算策定、メーカー工場との交渉なども経験しました。すべて合わせて9年ほど、しっかり現場実務を積みました。

自身の転機になったことはありましたか?

26歳くらいの時でしょうか、研修講師との出会いが印象的でした。「仕事をしている目的は何ですか?」と問いかけられ、その時はじめて働く意味を深く考えました。それまでの私は、とにかくお金を稼ぐことで頭がいっぱいで常に飢えていました(文字通り、食うに困っていた時期もありましたので)。しかし、じっくり考えて出た答えは「家族のために働きたい」ということでした。講師の方が、目的を持って仕事をすること・生きることの大切さを教えてくださり、そこから私は変わっていったと思います。
変わったと言っても、持ち前のハングリー精神は変わりません。家族のために働くと決め、生涯年収を高くするため、具体的に「最年少」にこだわることにしました。その後、当時最年少で係長になり、課長になり、部長になり、38歳でシニアディレクターになっています。

順調にキャリアアップされていますね。

自分には「キャリア」なんて縁遠いと思っていましたし、お金さえ稼げればよかった。しかし目標を具体化したことで、やるべきことも明確になりました。現場で「モノの流れ」は掴めた、経理業務で「カネ(どうやって会社が稼いでいるか)の流れ」も分かった。次は、「情報の流れ」だと思いました。そうすれば「物流」が本当の意味で理解できると。
現場で「こんなシステムがあったら良いのに」と思っていたことをどんどん声に出し、やらせてもらい、実現していきました。会社のデジタル化への転換期と、自分のやりたいことがマッチし、活躍できるチャンスを掴んでいったという感覚です。

今後挑戦したいことはありますか?

私は、入社してから物流の偉大さに気が付きました。東日本大震災の時に、物流が止まれば人の生命に関わると身をもって経験したからです。そして、入社してから大塚倉庫のことが好きになりました。それは、「創造性」や「イノベーション」を大事にしている大塚グループのDNAが好きだからです。
仕事の目的を考えた時に、自分は「つくる」仕事に喜びを感じているということにも気が付きました。配車業務も、ただのオペレーターとして作業をするのではなく、配車を組み立てることが楽しかったのです。ITの仕事をするようになってからは、システムをつくり、仕組みをつくることが楽しかった。物流はプレイヤーが多く、現場では多くのプレイヤーがプレイヤーごとの判断をして、モノを動かしている現状があります。それをシステムで制御して、人の個別の判断が介入しない物流を構築するのが今の私のミッションです。
ビジョンとコンセプトを明確に、これからもシステムを作っていきます。IT領域を突き詰め、大塚倉庫を物流DXの分野のナンバーワンにしたいですね。